「実行委員会の取り組み報告」
「法要部門」
「儀式~同朋として平等の地平で出遇いつづけていく」
儀式とは…皆さんは、どのようなものであると受け止め、また法事とは、どのような「場」であると思われますか?
フランスの詩人ジャン・タルジューの詩の一節を紹介します。
「死んだひとびとは 還ってこない以上 生き残ったひとびとは 何がわかればいい」(『真宗葬儀・法要法話実践講座』四季社)
これは、ご法事を勤めることについての、ひとつの視点といえるのではないでしょうか。私は、二十数年前に在家から入寺して、戸惑いの連続でありました。正信偈をお経と思っていましたし、浄土三部経の意味すらも何もわかっていませんでした。
亡き人を御縁として出会ったご門徒には、法事・お経・儀式作法の意味を問い尋ねられても、何一つ答えることができませんでした。
そんな私でしたが、仏法を真剣に聴聞しようと思い立つ御縁があり、今日に至っております。
それは、認知症であった主の両親を八年間介護し、その間に母子家庭で育ててくれた母を亡くし、自らが癌を病んだことが始まりでした。
その時は、絶望感を抱きながらも仏法に自らを必死に問い尋ねていました。
今、思いますと、その時の私こそが、亡き人を御縁として問い尋ねてきてくださったご門徒の思いと重なるのです。
そんな時、学習会で、浄土三部経の一つである「観無量寿経」の中に登場する韋提希夫人との出遇いがありました。
韋提希夫人の、「自ら瓔珞を絶ち、身を挙げて地に投げ号泣して」いる姿を知った時、私は、その姿が自らの姿と重なりました。それまでの私にとっては、戸次公正氏が著作(『意味不明でありがたいのか―お経は日本語で』祥伝社)の中に書かれているようにお経とは「漢文の音読による意味不明な読経が呪文のごとくに繰り返されているもの」と思い続けておりました。
経典には意味があると知ってから、私の新たなる歩みが始まりました。
そしてお経を御縁として、自己のありのままの相(すがた)に遇うと同時に、ご門徒や有縁の方々に少しでも経典の意味を知っていただきたいという思いが湧いて参りました。
この度は、岡崎教区宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法会を御縁として、法要部会で、経典(往覲偈(おうごんげ)全文)をはじめ、伽陀・御文の意訳・現代語訳に取り組んでおります。往覲偈は、当日は重要な部分の3パート(全十二節)を抜粋して、原文と現代語訳で表現します。また、表白は岡崎教区御遠忌法会を迎えるにあたり、テーマ「真宗仏事の回復」「人の誕生」を承けて作成しており、また、これらを当日の次第に合わせて別冊に掲載する予定で、そこには、正信偈・念仏讃・和讃も掲載します(現在、正信偈等の現代語訳は、岡崎教区発行の『同朋唱和勤行集』に掲載されている真宗教団連合による現代語訳を載せることを協議しております)。
ここで、「なぜ往覲偈なのか?」という問いも聞かれますので、少し説明を書かせていただきます。
本来、無量寿経には三つの偈(嘆仏偈・重誓偈・往覲偈)が出てきます。そのことを念頭に置いて、法要部会作成による往覲偈についての説明を一部抜粋して掲載させていただきます。
『昭和三十一年に現在の昭和法要式が制定されたときに「宗義の上から許される範囲の抜粋を図る」という理由で、往覲偈が三つの偈から削除されました。ですから、往覲偈にはあまりなじみがありません。三つの偈のうち、同じ無量寿経の中にありながら、嘆仏偈・重誓偈は、因位(本願が成就して阿弥陀様になられる以前)の法蔵菩薩が詠われるという形に対し、この往覲偈のみ唯一の釈尊自らが詠われ阿弥陀仏(または如来)の無量の功徳をほめ讃えられています。また無量寿経のほとんどの異訳経典の中にも、この偈が入っております。さらに親鸞聖人がご自身の著作(『教行信証』や『尊号真像銘文』)の中で何度も引用されていることからもわかるように、この往覲偈は真宗門徒にとっては、重要な偈であるといえます』。今回作成される冊子が、教区内寺院の法事の有り方を考えていく上での参考になればと願っております。
最後に、戸次公正氏の言葉を紹介したいと思います。
「法事は何のため、誰のためにある?法事をつとめるということは、過去の死者たちのことを、もう一度憶い起こすための儀式を営むということです。それを失ってきた過去と触れるまたとない機会です。私たちの日常は、現在と未来のことばかりを追い求めています。『今ここで何をなすべきか』『これから先どうやっていけばいいのか』と。でも、それは過去に向き合い、過去に聞き学ぶことからしか視えてこないのです」。
この度の御遠忌法会は、親鸞聖人と出遇い、また、今日まで念仏の教えを伝えてくださった方々に向き合う大切な法縁であり、この法会に遇った一人ひとりにとって同朋会運動の担い手としての出発となることを願っております。
(教区御遠忌法会実行委員会 法要部門 チーフ 天野 美津子)
「地域教化センター部門」
地域教化センター部門では、当初、各地域教化センターの現状の課題の把握に努め、「讃仰講演会」にて各地域教化センターの現状を報告することを目的に、今日まで歩みを進めてまいりました。
しかしながら、委員の方々からは、地域教化センターの課題の把握と言っても、赤羽地域教化センターを除く、三地域教化センター(三河地域・東三河地域・静岡地域)については発足したばかりであり、課題を集約することは困難であるとのご意見をいただきました。
そのような状況の中で、当部門では「岡崎教区御遠忌法会」をお迎えするにあたり、何に焦点をあてて作業を進めていくのか頭を悩ませていた時に、教区教化委員長から、本山(宗務所・企画室)より、二〇一二年十月に実施された第七回「教勢調査」の結果を資料とした現状認識を主題とする報告学習会開催の依頼がきていることをお聞きしました。
そこで、「葬儀、法事の増減」「報恩講参詣者の増減」「同朋の会・講設置の有無」「組教化事業への参加」など、第七回「教勢調査」結果を資料として、各地域の特性・課題に応じた「"地域教化"」に視点を置いた取り組みを行うこととしました。
「地域教化」の「地域」とは、「岡崎教区教化センター構想基本計画」(二〇一〇年二月十六日策定)では以下のとおり表現されています。
『一ヵ組ではできない、或いは数ヵ組にわたって共有できる公性を持った課題や問題点に即応すべく事業を決定し、協同できる範囲。さらには、その地域内の一人ひとりが事業の参画を通して、事業への理解を深め、費用の負担を含め責任を持つことによって、事業の透明化と僧俗共同参画を推し進め、個性豊かで活力に満ちた地域を創造していく』
先日、教区会館におきまして本山(宗務所・企画室)の宗務役員の方をお迎えして、第七回「教勢調査」報告学習会事前協議会を開催し、教区御遠忌企画会、地域教化センター部門の方々とともに協議の場を持ちました。
その協議会の中では、第七回「教勢調査」結果の統計調査専門員の分析として、いくつか視点をあげて紹介されていました。その中で特に気になったこととして「他教区、他組に学ぶ」「多様化の中で得意な組織を伸ばす」という提言がありました。
私たち岡崎教区では、これまで「他の教区のこと」や「他の組のこと」を意識して、教区教化委員会或いは組教化委員会において教化事業を企画・展開してきたかどうかと考えさせられました。
また、『御遠忌通信№3』の「講師事前協議会の開催報告」の中に戸次公正氏が次のように提起されていたことを思い出されます。
『岡崎ではどういう教区としての「特性」と「独自性」をもうちょっと自分と離したところから見て、客観的に自分たちが岡崎教区とはこんな教区なんだということをどこまで見られるのか、今までやってきたことが率直にいって失敗だったのか過ちだったのか自己批判的に見出していくことがないと、土徳があってもそれを耕す人がいなければ、どんどん畑は不毛になっていくと思います』
私たち岡崎教区では、先に述べた「岡崎教区教化センター構想基本計画」に基づき、新たな教化委員会体制を構築し、中央教化センターをはじめ、各地域(三河地域・東三河地域・赤羽地域・静岡地域)に教化センターを設置し歩みを始めています。特に、各地域教化センターでは、これまで岡崎教区教化委員会で展開されてきた教化事業を主な取り組みとして、公開講演会など地域性を活かした取り組みがなされています。
私たちの部門では、今後、各地域教化センターが地域性を活かした教化事業の更なる充実が図られるためにも、今回の第七回「教勢調査」結果を資料として、教区・地域における課題を共有し、「地域教化の可能性」さらには同朋会運動の特徴である「共同教化」について考え、寺院が協力しあって教化活動を行うということを皆さまと共に確認していきたいと思います。
なお、第七回「教勢調査」報告学習会は二月二十六日(水)に開催が予定されています。どなたでもご参加いただけますので、是非、足をお運びいただき、皆さまと共に、岡崎教区の現状を把握し、各地域・組・寺院の課題を共有できればと思います。
(教区御遠忌法会実行委員会 地域教化センター部門 チーフ 三村 謙作)